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後見類型の本人申立

後見制度には、3つの類型があります。
症状の重い方から順に、後見、保佐、補助となります。

具体的にどのような方が該当するのかと言いますと、民法7条、11条、15条に書いてあります。 

後見(7条)
事理を弁識する能力を欠く常況にある者
保佐(11条)
事理を弁識する能力が著しく不十分である者
補助(15条)
事理を弁識する能力が不十分である者

なるほど、わかりやすい!って思えない日本語です。
「事理を弁識する能力」ってなんでしょうか?
ニュアンスはわかりますが、確実に、普段使わない日本語です。

そして、「不十分」と「著しく不十分」の境目もハッキリしません。能力を欠く「常況」も、ジョウの字が違います。その意味するところは「常に」と捉えられます。

そうすると、ここで疑問が浮かびます。
全ての類型において開始の申立てをすることができる人間の範囲が決められていますが、申立て可能な人間として本人が含まれているのです。全ての類型において。

補助であれば、能力が不十分ということで、反対から見れば、ある程度はある、と言えます。
保佐も、著しく不十分ということは、少しはある、と言えます。
一方、後見はどうでしょう?
事理を弁識する能力を欠く常況にある人です。
能力を常に欠いている人の申立てが認められるのでしょうか?

事理を弁識する能力が常に無い人が、後見制度を使いたい、と申立てる?

実は先日、東京家裁にて、後見類型の本人申立てが認められました。

常に能力を欠いてる、と捉えるわけではないようです。
「常況」という言葉を調べますと、「ふだんのありさま」と出ます。
今度は「ふだん」を調べますと、「日常」と出ます。
そしてこの「日常」という言葉の中に「特別とは反対」という意味が含まれているようです。

要するに、後見類型の本人申立てとは、
日常的に弁識能力を欠く本人の申立てであり、
特別なとき(申立能力があるとき)に本人が申立てれば十分考えられる。
ということなのでしょうか。

では、申立能力があるときとは?

これは、家裁の判断に委ねられるところです。
どこで、どう線を引くのか。

私の場合、申立前に経験豊富な先輩に相談に乗ってもらい、アドバイスを頂戴しながら準備を進め、通りました。(その先輩でさえ実際にやったのは1件。やはりレアケースです。)

ポイントは、会話の成立、意思疎通を図ることができる、この辺ではないでしょうか。
長谷川式は低かったのですが、診断書の内容が後押ししてくれるような記載だったことも大きかったかもしれません。(診断書に、意思疎通一切不可なんて書かれたらまず無理ではないでしょうか。)

様々な事情で後見類型の本人申立てになったとしても、可能性はあります。