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暮らし

 
 ご本人の居住用不動産を処分するにあたり、まず、家屋内の動産を処分します。その動産ひとつひとつを見ると、ご本人の趣味や嗜好、さらには生活ぶりがわかります。お元気だった頃の日記や家計簿。立派な囲碁の盤。思想信条を思わせる様々な物。支持する政党。好きなスポーツ。好きなチーム。
 病院や施設ではわからない「ご本人の暮らし」がわかります。この窓からあの木を眺め、近所のあのスーパーに買い物に行き、持病の薬を飲み、〇〇新聞を読み、あんなことを楽しみにしていたんだなぁ…と。
 ご本人の暮らしがそのまま残っている部屋を片付け、ガランとなると、なんとも言えない寂しさを感じます。
 動産処分に先立ち、本当に残す物はないんですか?と聞いたときのこと。
 
 ははは、大丈夫。なんにも要らない。思い出は全部、胸の中にある。
 にっこりと微笑まれました。物にこだわらない、達観の境地に至っているようです。
 
 果たして、自分自身が人生の終盤を迎えたとき、どんな思い出が胸の中に残っているのでしょうか。嬉しい瞬間、楽しい思い出、何気ない日常のワンシーン。最終的に大切なものは、物ではなく、そういった心を動かした思い出なのかもしれません。現時点で心の中に残っている自分にとって大切な瞬間…。色々ありますね。死に面したとき、そんな思い出がひとつでも多ければ、安らかに旅立てる気がします。
 受け持っている後見業務ご本人さん達の目に、私はどう写っているのでしょうか。願わくば、人生の最後の方に見つけた楽しい思い出として、心の中に、心の片隅で構いませんので、仲間入りをさせていただけたらと思います。
 
 
 片付けの途中で見つけた、なんてことはない家計簿。3年前、2年前、ページをめくると、段々、字が震えてくるのがわかります。
 私と出会う前、この部屋でこのノートを書いてる瞬間に、少しずつ病気が進行していったのではないかと、推測します。
 ひょっとしたら、もうこの時、苦しかったのかもしれない…。1人で、がんばりましたね。
 今は、余計なことに気を取られず、病気の進行を止めましょう。
 あなたは、1人じゃありませんよ。