あなたは絶対に死にます。
え、死にたくない?
ダメです、確実にあなたは死んで二度と復活することはありません。
残念ですが、私も同じです。
これは受け入れるしかなさそうです。
自分の力で死なないようにすることができないのであれば、そのことについてアレコレ考えても仕方がありません。
考えても結論は変わらないのですから。
では、死ぬまでの生き方はどうでしょうか。
これは自分でコントロールできそうです。
完全にコントロールすることはできないかもしれないので、ある程度コントロールできそうと言ったほうが正確かもしれません。
いずれにしても、考えることによって生き方を変えることはできそうです。
では、どんな生き方にするか。
美を追求する、食を求める、金銭を獲得する、異性を虜にする、研究に没頭する、信仰を広める、音楽を極める、弟子を育てる・・・
いろいろな生き方があると思います。
その中で自分は何がしたいのか。
私は「カッコいい生き方」がしたいです。
格好いい、ではありません。
カッコいい、です。
格好はよくなくても、カッコよければいいです。
格好はいいのに、カッコ悪いのは嫌です。
では「カッコいい」生き方とは何か。
「カッコいい」は評価なので、評価の根拠となる事実を明らかにします。
私の「カッコいい」という評価の評価根拠事実は「弱い者を助けること」です。
しかし、「弱い」もまた評価なので、その評価根拠事実を考えます。
私が「弱い」と評価する事実は、「未熟なこと」「衰えていること」「障害があること」です。
「コトロウトロウ」
「子と老と聾」
もちろん、世の中には他にも弱いと評価される者がいることは理解しています。
障害にもいろいろなものが存在することを理解しています。
しかし、私は、子を助け、老を助け、聾を助けることによって、自らの人生を自らが思うカッコいいものにしたいと思っています。できれば、ただ助けるだけではなく、可能な限りのユーモアも用いて笑いも増やすことができれば最高です。
で、能書きはいいから、具体的には何をするのよ?
弁護士の資格を持たない司法書士がさぁ?
という声が聞こえてきそうです。
そもそも、子と老と聾を助けるのに資格が必要かと言えば、不要です。
勝手に通学路に立って子どもたちの登校を見守ることだって、子を助けることになると言えるでしょう。
そこに資格は不要です。
ただ、持っている資格を活かさないことはもったいないので、資格を有効に使える場面では使っていきたいと思っています。
具体的には・・・
【子】
昨年、児童養護施設の施設長と話をする機会があり、その際、突発的な支援ではなく長い支援を求めていること、施設を出た後の子ら(18〜20歳)が心配なことを聞き取りました。この言葉は胸に刻んであります。今年に入ってからは新型コロナウイルスの影響もあり、訪問できておりませんが、定期的に訪問をしたいと思っています。そうすることによって子らと顔見知りになることができます。施設に入っている子らに対して私ができることはほとんどありません。職員さんがしっかりと見守ってくれているので、大きな問題になりにくいという話も聞きました。ただ、顔見知りになっておけば、子らが施設を出た後、相談できる選択肢の一つになれるのではないかと考えています。
困ったとき、誰かに話を聞いてほしいとき、法的な解決が可能なとき、力になれるかもしれません。彼や彼女と出会っておけば、その可能性は広がると思っています。
【老】
成年後見、遺言、相続、生前贈与など、司法書士としての支援ができます。現に行っています。
【聾】
現在、手話の勉強を開始して3年目です。
私が手話を学ぶことによって、聾者が安心して司法書士業務の提供を受けられるようになることを目指しています。聾者が気軽に来れる司法書士事務所になることができれば、意義があるのではないかと思っています。さらに学び続けていけば手話通訳士として活動する未来が待っているかもしれません。
実は、このたび、これから手話を学ぶ予定という司法書士試験合格者から、アルバイトをしたいと申し出があり、受け入れることになりました。特に求人は出していなかったのですが、「手話 司法書士」で検索して、連絡をくれました。都外から通い、無給でも構わないという姿勢に、給料を出して応じることがカッコいいと思ったわけです。今後は、週1、2回程度のアルバイトをしてもらう予定です。彼女自身が補聴器を使用しているので、私よりも聾者の気持ちがよくわかるのではないかと思います。
そのような環境の変化があって、改めて、事務所の方向性や人生を考えてみた次第です。
それにしても字って便利ですよね。
今日の記事を読み返してみると、なんていいやつなんだろうと読めるじゃないですか!
現実世界ではいわゆるクラスやチームのお調子者でしかありません。
先生のすべての問いかけに「ハイ!ハイ!」と天井に着かんばかりの勢いで右手を挙げ、
差されれば(やっぱり俺を差したか)と思いながら立ち上がり、
大きな声で
「わかりません!」
と言って座った40年近く前から何も変わってない気がするんだよなぁ。