おはようございます。
親戚が亡くなりました。
人が亡くなるの当然です。
当然ですが、やはり、悲しいものです。
比較的早くに父親を亡くした経験から、「人の死」は、なんとなく切り離せずに、常に心の内にあります。
ブッダの四門出遊の話にあるように、老・病・死は、人間にとって避けらない苦しみと思います。
そのうちの「病」は、医師が対応してくれます。
司法書士は、私は、何ができるでしょうか。
老と死に、関わることができるでしょうか。
成年後見や任意後見で「老」に対応できるでしょうか。
遺言や死後事務委任契約や相続で「死」に対応できるでしょうか。
わかりません。
昨日は、たまたま、開業当時に読んだ「司法書士の羅針盤」という本が目にとまり、パラパラとめくってみました。
その本は、様々な司法書士が、司法書士としての仕事はもちろん、司法書士ではなくても関われる事にも問題意識を持って対応する姿が書かれていました。
ときに生きる意味を考えてみたり、司法書士という国家資格の意味を考えてみたりしますが、深い所では「自分がいる意味」にたどり着くように思います。
ここに生まれ、ここに育ち、この資格を手にし、ここにいる意味は何でしょうか。そもそも、そのようなものがあるのでしょうか。
前職の個人タクシー時代、幹部が言ってました。
「我々は、社会からいらないと言われたら、あっという間に消滅する存在に過ぎない。」
これは、司法書士も同じでしょう。
すべての仕事に通じるかもしれません。
バリバリ働けるのが60歳までとすれば、あと13年程度です。おそらく、あっという間の時間。何ができるかな。
久しぶりに近所の施設に行って、子供たちの顔でも見てこようかなと思います。送った図書カードで本を買って読んだかな。
髙野