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リレー

 

 おはようございます。

 

 先日、私の後見人辞任許可と選任申立の審判がありました。

 

 

【辞任許可と選任申立】

 辞任許可と選任申立というのは、就任中の後見人が正当な事由によって辞任を求め、同時に、ご本人のために新たな後見人の選任を申立てる、というものです。 (民法844条、845条)

 つまり、就任中の後見人Aから新たな後見人Bへのリレーです。

 略して「辞任選任の申立」と私は呼んでいます。

 想定される場面は、後見人Aが病気や高齢になったり、遠方に転居したりして、後見活動の継続が困難になるケースです。

 申立てはAがします。

 私のこれまでの経験は、B側の経験のみでした。

 長年お努めになられてきた親族後見人が自らの高齢を理由に辞任し、私が新後見人に選任されるというケースです。

 今回、初めて、A側、すなわち辞任する側として、辞任選任の申立てをしました。

 

 

【辞任許可】

 辞任するには正当な理由を申立書に記載し、裁判所の許可をもらう必要があります。(民法844条)

 私の辞任の正当な理由は、簡単に言ってしまえば、専門職後見人が不要になったこと、です。

 これが正当な理由に該当するかは不明でしたが、今回は認められました。(事件ごとの個別判断になると思いますので、必ず認められるという類の話ではないと思います。)

 私は、就任当初の課題を解決し、現状の生活が安定し、今後の課題発生の可能性が低いと感じはじめたころ、私がこのまま就任し続けるよりも区民後見人の方がいいのではないかと思うようになりました。

 これは、私が区民後見人養成講座の講師をさせていただいたときの受講者の皆様の真剣な眼差しが、そう思わせてくれたものと思います。

 

 

【区民後見人】

 私は、地域住民による区民後見人活動が、もっと増えればいいなと思っています。

 区民後見人が増えることは後見制度の普及につながると思いますし、専門職が就任し続けることへの不満(例えば高い報酬を払い続けることへの不満。ちなみに私は決して高い報酬とは思いません。しかし一部の人には不満があるようです。)の解消にもつながることになると思います。

 また、区民後見人として後見業務をされる方が増えることは、後見業務の大変さを感じる人が増えることとなり、結果的に専門職の地位は保たれるのではないかとも考えます。 

 それは、後見業務が、1円単位でのお金の管理に始まり、いつ何時かかってくるやもしれない緊急連絡に気を張り、様々な分野の知識の習得が求められ、関係各所とのコミュニケーション能力も問われ、なんと言ってもご本人の心情を慮る洞察力、共感力、想像力が必要になる仕事だからです。

 これまで約40件ほど関わってきた私の感想ですが、すべて100点満点の仕事が出来ているとも思えず、緊張感が0になる事はありませんでした。

 まして、区民後見人の方が最初から後見業務をテキパキとこなし、専門職を上回る評価を手にするとは思えないのです。

 したがって、区民後見人が増えたとしても、専門職は生き残るのみならず、一定の地位は保たれると信じています。

 地域によっては後見人のなり手がいなくて困っていると聞きますし、成年後見制度の利用の促進に関する法律第3条2項には「成年後見制度の利用の促進は、成年後見制度の利用に係る需要を適切に把握すること、市民の中から成年後見人等の候補者を育成しその活用を図ることを通じて成年後見人等となる人材を十分に確保すること等により、地域における需要に的確に対応することを旨として行われるものとする。」と書かれていますので、区民(市民)後見人が増えるのは必然とも言えそうです。

 ちなみに、区民後見人が就任する際は、地域の社会福祉協議会が監督人になるケースが多いようです。 

 

 

【今後】

 私は、上記のとおり、専門職から区民後見人へのリレーが活発に行われるようになればいいなと思っています。

 しかし、現在のところ、区民後見人が就任するためにはいくつかのハードルがあったりします。

 その一つに「(当初の)申立が区長申立であること」というものがあります。(自治体によって違うかもしれません。すべての自治体の要件を把握しているわけではありません。)

 これがなくなれば、リレーしたい案件がもう少しあります。

 是非、撤廃していただきたいルールです。

 

 

【専門職にとって】

 現在、後見業務に積極的ではない専門職の方にとって、他人の人生を一生支える仕事よりも、課題を解決してリレーできる仕事のほうが、多少の困難案件であったとしても受任に前向きになれるのではないかと思います。その結果、後見人のなり手がいない、候補者として誰も手を上げない、というような事態は減らせるのではないかと、川のほとりで考えています。