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高校野球

 

 あのとき、ああすればよかった。

 

 誰しも一つくらいは胸にあるはず。

 

 いや、一つどころではない!

 そんな声も聞こえて来そうだ。

 

 私にもある。

 

 例えば、高校時代の部活。軟式野球の話。

 私たちは東京を勝ち抜き、明石球場で行われる全国大会に出場した。

 

 その初戦、大阪代表茨木高校との対戦したときの話。

 申し訳ないけれど茨木高校は野球界では無名の学校だったので、私たちは警戒していなかった。

 

 しかし、その思いは試合開始と同時に間違いであったことに気付く。

 

 茨木の左腕エース、江崎君の投げる球は桁違いであった。

 特にスライダーはどうやって打てばいいのかわからなかった。

 考えてみれば大阪を勝ち抜いているわけだから、実力は推して知るべしだったのだが。

 余談だが、秋の国体にも茨木は出場し、準優勝をしている。(うちは優勝した作新学院に初戦敗退)

 

 茨木との試合

 2-0で負けてる5回の裏(4回だったかな?)、1点を返し、なおも二死満塁と攻め、打席には5番打者。

 私は三塁走者で同点のランナーだった。

 

 そのとき私は痛恨のミスを犯す。

 自分の野球経験のなかで、左腕が三塁に素早い牽制球を投げることを見聞きしたことも想定したこともなく、私は、彼が繰り出した素早い牽制球の餌食となった。

 

 時々野球中継で見ることもある、右腕が一塁走者に対して刺す気で投げるあの牽制球だ。

 刺す気のない、間合いをとるための牽制球もあるが、それではない。

 

 私は完全に虚を突かれた。

 しかも、運が悪いことに、牽制球が少しホーム寄りにそれ、私は三塁手と交錯する形でタッチアウトとなった。

 

 滑り込もうとした私の足に三塁手が乗っかった。

 (グキィッ)

 私は聞いたことのない音を聞いた。

 

 その後、7回くらいまで騙し騙し試合に出続けたが、途中で2年生と交代した。

 

 このまま高校野球が終わるのかもしれないと思いながら、試合の行方を見守ったが、チームは延長14回、サヨナラ勝ちをおさめた。

 

 次の試合にでれることを期待し、医者に診てもらったところ、骨折ではないが強度の捻挫でしばらく安静、次の試合は無理と言われた。

 

 まぁ、次もチームは勝ってくれるだろう。

 私はそう思っていた。

 

 しかし、次の試合、我々はサヨナラ負けを食らう。

 私は打席に立つことも守備につくこともできなかった。

 高校野球が終わった。

 

 

 あのとき、前の試合の5回、彼が早い牽制を投げるかもしれないと想定していたら。

 子供のころから言われていた「集中力を切らすな」を実践できていれば。

 神様は見ていて、真面目に練習しなかったツケを払わされたのかもしれない。

 

 あのとき、捻挫しなければ次の試合に出れたはず。

 もちろん、自分が出たから勝敗が変わるとは言わないが、どこかしら不完全燃焼で終わることはなかったはず。

 27年経った今でもときどき思う。

 次の試合にも出たかった。

 

 

 私にとって高校野球は、「油断すれば痛い目にあうこと」を教えてくれた存在である。

 

 考えてみれば、毎年、多くの高校生が敗者として高校野球を終える。

 硬式・軟式を問わず。

 

 硬式で言えば約4000校が参加して、勝者で終わるのは1校だけだ。

 残りはどこかの段階で敗者として終わる。

 

 

 

 今年の夏の甲子園が中止になった。

 

 挑戦すらできなかった高校三年生の胸中を思うと、察するに余りある。

 

 誰のせいでもないが、こんな理不尽なことが起きて、それを受け入れなくてはいけない現実。

 

 ほとんどの生徒にとって、いままでの人生で最大・最悪の出来事ではないだろうか。

 

 それでも、おっさんは言いたい。

 

 

 「若者よ、顔を上げろ」

 

 

 努力を披露する場はなくなってしまったかもしれないが、努力が消えるわけではない。

 

 そもそも世の中には努力が報われないことなんて山ほどある。

 

 イチローも松井も、他の一流アスリートは同じことを言う。

 

 「自分でコントロールできないことに一喜一憂してもしょうがない」

 

 

 高校三年生には顔を上げてもらいたい。

 

 悲しい思いをしているのは自分一人ではない。

 

 君たちにとっての高校野球は「努力しても挑戦すら許されなかったもの」かもしれない。

 

 それはそうだったかもしれないが、人生は高校野球が終わってからの方が長く、多くの先輩は、高校野球の敗者として生きていることを知ってほしい。

 

 自分にとっての高校野球は何だったのか。

 

 じっくり考えて、また、歩き出してほしい。

 

 

 パラリンピアン佐藤真海さんの言葉を送ります。

 

 「私にとって大切なのは…私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。」

 

 

 今は喪失感の方が大きいかもしれないけれど、それでもなお君の中に残ってるものは何なのか。

 

 

 

 

 27年前、あまりいい形で高校野球を終えれなかったおっさんより。