おはようございます。
昨日は私と妻の結婚記念日でした。
気が付けば20回目。
あっという間です。
先日、娘とその友達の会話を聞く機会がありました。
二人の話を聞きながら、時の移ろいを感じざるをえませんでした。
大人顔負けで楽しそうにおしゃべりしている二人。
その二人とも、わずか10数年前には、この世に存在していなかった。
なんだか不思議です。
タピオカがどうとか、〇〇先輩がどうとか、今度あそこに行きたいとか…。
つい、この間まで「抱っこ!」って言ってなかったか?
生まれたときは小さかったのに、いつの間にか大きくなりました。
怒ってみたり、泣いてみたり、いろいろありながら、同じ年に生まれた同級生に出会って、友達になって、あと数年で成人します。
私が成人したのは24年前。
はるか遠い昔に感じます。
結婚して20年はあっという間に感じるのに、成人して24年はとんでもなく長い時間に感じます。
よく、楽しい時間は短く感じ、つまらない時間は長く感じると言われますが、それとも違う感じです。
「時」を考え始めると、止まりません。
もともと時は止まりませんが。。
そもそも、いつから「時」が存在し、流れ始めたのか。
ビッグバン以前は何もなかったのか。
時の流れが変わる(双子のパラドックス)って、何!
生命の誕生は喜びとされているけれど、死に向かって止めることのできない時の始まりと思えば、喜びとも言えない!?
過去って何!本当に過去はあったの?
未来って何!本当に未来はあるの?
生まれた瞬間にジムにあるランニングマシンに乗せられた気分です。
しかも止まらない。
寝ている間も止まらずに、足だけ動かしてる。
食べているときも、おしゃべりしているときも、怒っているときも、ランニングマシンの上。
最初はハイハイで、二足歩行が始まり、やがて杖をついて。
ランニングマシンが止まるとき、命が尽きるとき。
全部ランニングマシンの上。
ランニングマシンの上で、若者は若者なりに、老人は老人なりに、思い、悩む。
そこに寄り添いたいと思う私もまたランニングマシンの上。
過ぎ去った時は戻らず、まだ見ぬ時はその存在すら怪しい。
「今」しかない。
でも「今」も止まらずに、次から次へとやってくる。
私は「今」ブログをかいている。
しかし、この行を書いてる「今」上の行はすでに「過去」。
さて、結婚21年目。
次から次へとやってくる「今」をどうしよう。
唄うか、笑うか、怒るか、泣くか。
とりあえず、今日の仕事を始めようか。
ランニングマシンの上で。
この記事を読んでくれたあなたの「数分前からの過去」に感謝。