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ツマラナイカラヤメロトイヒ

 

 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

 ツマラナイカラヤメロトイヒ

        『雨ニモマケズ』宮沢賢治

 

 

 おはようございます。

 

 最近、調停研修を受けてから、調停・話し合い・和解がマイブームです。

 

 宮沢賢治は「つまらないからやめろ」と言ってますが、さすがに「つまらないから和解しろ」とは言えません。

 

 でも、草野芳郎先生のお言葉を借りれば、「判決は過去の事実の存否を立証責任に従って判断することだけしかできず、過去のことだけしか解決できないのですが、和解であれば、当事者の将来の影響をも考慮した妥当な解決策を作ることが可能となります。」(同氏著『和解技術論』)ということです。

 

 和解をしたほうが喧嘩や訴訟を続けるよりもお互いの将来に前向きな解決と言えるのではないか、そのような場面が多いのではないか、そのように思えるので「喧嘩や訴訟があれば和解を考えろ」と言いたくなります。

 

 「感情」は生きるのにとても大事な要素だと思いますが、「感情」を前面に出して他人の「感情」と衝突しても、未来は見えず、時間を浪費してしまうだけではないでしょうか。

 

 そして、時間は有限です。

 間違いなく。

 全員。

 

 

 もちろん、絶対に譲れない線もあるとは思います。

 誇り、プライド、名誉・・・。

 

 

 それでもあえてもう一度お尋ねしたくなります。

 本当に、それは譲れない線ですか?、と。

 命に係わるほど大事なものですか?、と。

 

 

 限りある自分の時間、自分の未来をどう創るか。

 それはまさに自己決定権の範囲です。

 

 

 自己決定権の範囲なので、強制はできません。

 強制はできませんが、再考を促すことはできます。

 

 

 宮沢賢治はどうして「ツマラナイカラヤメロ」と言ったのでしょうか。