おはようございます。
強い雨のなか、一番下の子どもが習い事に行きました。
私が、車で送ろうかと尋ねると、「大丈夫。カッパを着ていく。」と答えました。
迷いましたが、「そうか。気をつけてな。」とだけ言いました。
土砂降りのなか遠ざかる三女のカッパの背中を見ながら、昔、長女が小学校2年生のころ、年長の二女を連れて二人だけで大阪まで行ったことを思い出しました。
かわいい子には旅をさせろ。
言うは易し、行うは難し。
なにかあったらどうしよう。
親としては迷います。
けど、やってみようかな、という子どもの心は大切にしてあげたいし。
いつの間にそんなに大きくなったんだという思いと、心配と。
子どもという存在。
可能性と不安。
できるだけ、可能性を信じてあげたい。
そして、それは、自分の子だけではなく。
最近、弘文堂から出された山崎聡一郎著『こども六法』を手に入れました。
高文研から出された山下敏雅・渡辺雅之編著『どうなってるんだろう?子どもの法律』&『どうなってるんだろう?子どもの法律 part2』も少し前に読みました。
『こども六法』の最後に「いじめで悩んでいるきみに」という著者メッセージと「大人向けのあとがき」があります。
その「大人向けのあとがき」の一部をご紹介します。
「大人は経験・地位・腕力を駆使して子どもの問題から逃げることができますが、当事者である子どもは逃げることができない・・」
「・・問題を深刻化させるのはしばしば大人たちの『見て見ぬふり』なのです。」
子どもの可能性を信じてあげるのも大人。
子どもの問題に介入してあげるのも大人。
「だいじょうぶ、おおさか行ける」
「これくらいの雨、平気」
「こういうことを勉強したい」
問われているのは、私。
児童虐待のニュース。
いじめのニュース。
命を落とす子どものニュース。
問われているのは、私。
私の答えは、