おはようございます。
頭のどこかに「みんな死ぬんだ」という思いがあります。
だからでしょうか、「どう生きるか」は「どう死んでいくか」と同義に感じます。
そうなると、やはり、私は「もらって死ぬ」より「あげて死ぬ」を選びたい。
たくさんもらっても、死んでしまいますからね。
できれば人にあげて死んでいきたい。
生きてる人に伝えて死んでいきたい。
問題は、何をあげるのか。
「お金」をあげる。それもいいと思います。
お金があると選択肢が増えることは、後見業務で日々実感しています。
もらった人の選択肢が増えることはいいことかもしれません。
しかし、人にあげるほどのお金はありません。
どうしましょう。
「愛」をあげましょうか。
これ、言うのは簡単ですが、難しいです。
まず「愛とは何ぞや?」みたいな話になってしまいます。
「やさしさ」はどうでしょう。
愛よりはわかりやすく、可能かもしれません。
あげた方は忘れても、やさしくしてもらった方は、忘れません。
それはまた誰かへのやさしさにつながるものと思います。
「誠実さ」もいいと思います。
誰だって、いいかげんな人より誠実な人と接した方が気持ちいいです。
特に仕事面においては、誠実な仕事をしてもらうと嬉しいものですから、自分自身がそうなるように努力したいです。
誠実さは、言動に現れます。
「楽しみ」や「喜び」「笑い」もいいです。
楽しませてくれる人、喜ばせてくれる人、笑わせてくれる人のことを嫌う人はいないでしょう。
なんかわからんけど一緒にいると楽しい、そう思ってもらえたらこっちも嬉しいです。
パッと思いつくのはこれくらいでしょうか。
不思議なものです。
「あげたい人」と「もらいたい人」。
日々の生活で感じるのは、同じような人が集まる傾向にある、ということです。
「あげたい人」同士は、長続きします。
「もらいたい人」同士は、もらえなくなった時が縁の切れ目です。
そして、「あげたい人」の周りには自然と人が集まるのに対し、「もらいたい人」の周りからは自然と人が離れていきます。
「もらいたい人」が人を引き付けておくためには「何か」が必要になります。
しかし、根本は「あげたい」ではなく「もらいたい」なので、何かをあげることは不本意なため、いずれ…。
なんだかんだ言って、生きていると、あげるだけでなく、もらうこともあるし、あげたりもらったりしながら生きていくでんすけどね。
でも、根本がどっちなのかは、重要に思います。
そして、大事なことがもう一つ。
「能書きは垂れるな」ということです。
せめて、能書きを垂れてしまったら、気付け!ってことです。
ハっ!
終わり。