おはようございます。
昨夜は、また、調停の研修を受けてきました。
現在、短期集中で開催されています。
しかも、座学ではなくロールプレイなので、おもしろい。
(調停人役、申込者、相手方になり切って、それぞれに配られるその人だけの事情説明書に従って、調停を進める研修。つまり、お互いの事情は、調停の進行とともに明らかになる。調停人は、概要しかわからない状態で始まる。)
自分がやればその難しさを体感し、人がやっているのを見れば改善点に気付き、講師の先生のお話しには、深い気付きを与えられます。
昨夜の講師の先生のお言葉に「みんなで困ればいい」というものがありました。
これは、ロールプレイ直後、調停人役の方が、とある場面で「どうすればいいか困った」という感想を漏らした時の先生の言葉です。
「みんなで困ればいい」
この言葉を聞いたとき、私の頭の中に「!」が10個くらい出ました。
そうです。
みんなで困って、困っているからこそ話し合って、みんなで解決を目指せばいいんです。
調停人が解決策を出して解決する必要はなく、解決に向かうように話し合いを進めればいいのです。
それが、調停です。
誰かに法的判断をしてもらう。
それは裁判です。
裁判官に判決を出してもらえば済みます。
しかし、調停は違います。
話し合いを求めている人が行うものです。
特に一つのテーブルについての話し合いによる解決を求めている人は、裁判所ではなく、東京司法書士会の調停センターでの調停が向いていると思います。
難しいのは、相手方が応諾してくれるかどうかです。呼び出しに強制力はありません。
昨夜の研修で、「最終案には文句がないのだけれど、どうもスッキリしない。調停人に話を聞いてもらった気がしない。」という感想を持った当事者役の方がいました。この言葉もまさに調停を現わしていると思います。
裁判であれば、結果が良ければ文句はないでしょう。
ところが、調停の場合は「話し合うこと」が目標の一つでもあるので、当事者同士の話し合いや、当事者と調停人の話し合い、このあたりがおろそかになると、不満が残ってしまうかもしれないのです。
当初は、会話の技法を学べればいいや、という程度の狙いで研修に参加いたしましたが、研修を受けている今、「調停最高やん」になっています。参加されている皆さんが積極的なので、とても勉強になります。昨夜も、休憩中にも拘わらず、みんなで「あーでもない、こーでもない」とロールプレイを振り返っていました。
そ・し・て・・・
今夜も調停の研修です\(^o^)/