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感受性

 

 おはようございます。

 

 

 「問題がある」とされている人に会ってみたら、そうでもなかったりして

 

 最初はその人に思いっきり文句を言われて

 

 それでも一生懸命話してたらなんか通じたりして

 

 気が付いたら丁寧な言葉で話してくれるようになっていて

 

 困ったときには泣きながら電話してきてくれて

 

 それでいて「あの人が心配しないように黙っておいてください」なんて

 

 自分のことより人のこと心配したりして。

 

 なんで関係者があなたのことを「問題がある」としたのかわからない。

 

 私には何の問題もないように見える。

 

 ひょっとしたらなんだけど、誰かに認めてもらいたい、信じてもらいたいだけだったのではないだろうか。

 

 いや、ただ話を聞いてほしいだけだったのかもしれない。

 

 必要なのは関係者全員が集まっての対策会議ではなく、話を聞く耳と受け止める感受性だったのではないだろうか。

 

 子供のころ、わがまま放題の私が泣いてわめいて怒って周りがうんざりしている中、私のおばあちゃんだけは「話を聞いてやれ」「坊にもなんか考えがあるずら」と聞く耳を持ってくれた。

 

 そのときの感情は忘れない。

 

 理屈は滅茶苦茶だったかも知れないけど、「自分の考え」や「思い」を「聞いてくれた」その喜びを覚えている。

 

 だから

 

 「問題がある」とされる人の話も、できるだけ聞いたほうがいいのかもしれない。

 

 言葉遣いの悪さや勢いのよさは横に置いておいて、何が言いたいのか、なぜそう言いたいのか、真意はどこにあるのか。

 

 それを聞く耳と受け止める感受性が私にあるだろうか。

 

 

 

 髙野守道