おはようございます。
蒸し暑い朝ですね。
来月、都立高校における法律教室の講師を担当させていただくことになりました。
内容はまだ未定。
なにをやるのでしょうか。
過去に2回ほどやらせてもらいましたが、高校の教壇に立つと、目の前の生徒さんたちが、数十年前の自分と重なります。
授業をやりながらも
(あの子は上の空だな)
(あの子はもう間もなく眠るな)
(あの子は興味津々で聞いてる。法律に興味があるのかな。)
(あの子がクラスのリーダーかな)
(あの子は部活のことばかり考えてるな)
(あの子は内職中)
(あの子はあてれば何か発言してくれるな)
(あの子は次のコーナーで参加してくれそう)
などなど、様々な情報が見えてきます。
数十年前、私の内職も早弁も居眠りも、きっと、先生にはお見通しだったことでしょう。
そんな私が高校の教壇に立つということに、何とも言えない、不思議な気持ちになります。
そして、「バトンリレー」を感じざるを得ないのです。
ここ数年、複数の恩師が旅立たれています。
私が教科書の中に漫画を隠して読んでいたら「教科書の上下が反対だぞ」と教えてくれた先生たちです。
小・中・高と数えきれないほど怒られましたが、恨みのような感情はまったくなく、むしろ、よくあの程度で我慢してくれてたなとさえ思います。
そんな生徒が数十年後、高校生相手に話をします。
ひょっとしたら、私が受け持った教室の中に、将来の教師や司法書士がいるかもしれません。
そしてそれは、真面目に授業を聞いてくれた子かもしれないし、半分居眠りをしていた子かもしれない。
そんなことを思うと、真面目に聞こうが、上の空だろうが、生徒全員を応援したくなります。
昔の自分に愛情を持って接してくれた先生のように。
法律教室への参加は、仕事ではありません。
昔、先生から受け取ったバトンを渡しにいくリレーのような気分です。
髙野守道