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言葉の選択

 

 おはようございます。

 

 たまに、詩を読みたくなります。

 

 今日はそんな朝です。

 

 心を鎮めたいとき、活路を見出したいとき、そんなときにそう思うのかもしれません。

 

 今朝は前者のほうかもしれません。

 

 モヤっとした何かを吹き払うために。

 

 

 詩人による言葉の選択は、資格者としての発言をするうえで役立つような気がします。

 

 知っている詩でも、久しぶりに読めば新しい気付きがあったり、同じ認識を深めたりします。

 

 そうさせているのは他でもなく、言葉の選択によるものだと思います。

 

 資格者として発した言葉は依頼者の記憶に残ります。

 

 「知らないおじさんの言葉」ではなく「資格者の言葉」として。

 

 時間が経ち、依頼者がその言葉を思い出した時に、ハッとしたり、新たな思考が生まれるかもしれません。

 

 資格者の発する言葉は重要だと思います。

 

 できないことをできると言ったり、憶測で間違った情報を発したり、あってはならないことでしょう。

 

 

 法律事務所に長く勤めていた同期の言動から学んだことがあります。

 

 飲み会の席で私が場を盛り上げようと少し盛った話をすると、普段物静かなその方から「髙野君、そうは言ってない。」「そういう言い方はしていない。」「それは(事実と)ちょっと違う。」と、素早い突っ込みが入りました。

 

 私は言葉への敏感さを感じました。

 

 そして、特別研修で教わった弁護士さんの言葉を思い出しました。

 「どうして表現が変わったのか。その意味は?」

 

 数は少ないものの、裁判事務をやり、文章を書くと、同期の言葉や弁護士さんの言葉が重くのしかかります。

 

 事実かどうか。この表現でいいのかどうか。相手の言葉の意味するところは何か。他の読み取り方はできないか。

 

 

 いまでは同期を見習い、人の発する言葉に注意を向けています。

 

 「そんなこと言ったかな」という発言が躊躇なく出てきたり、できもしないことを発言する人物(特に資格者)は信用できません。

 

 そういう人物にならないよう、特に、仕事上の会話では言葉の選択に気を付けたい。

 

 なんとなく梅雨入りかなと思う朝に。

 

 

 

 髙野守道