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安全運転を

 

 つい先日も書いたばかりだけど、また痛ましい交通事故が起きた。

 

 悲しくて言葉がでない。

 

 私が子供のころ、修学旅行先で列車事故に巻き込まれて高校生が死んだというニュースを見ながら、親父が泣いた。

 

 驚いた私は(知り合い?)と思いながら、思わず聞いた。

 

 「なんで泣いてるの?」

 

 親父はポツリと言った。

 

 「悲しいからだ」

 

 

 昨日のニュースで涙が出るのは、悲しいからだ。

 

 全く知らない場所で、全く知らない人が事故を起こし、全く知らない子供たちが亡くなった。

 

 知り合いではない。

 

 それでも悲しい。自分が大人になったからなのか、親になったからなのか。

 

 2歳の子にとって「恐怖」を超えた「パニック」状態になったことは想像に難くない。

 

 そんなとき叫ぶのは「ママー!」の一言だったろう。

 

 そんな報道もあった。

 

 その子の気持ち、連絡を受けた親御さんの気持ち、会見をした園長の気持ち、事故を起こした人の家族や友人の気持ち、現場で救護に当たった人たちの気持ち、現場周辺住民の気持ち、どこを探しても良いことは一つもない。

 

 

 運転手時代、様々な言葉で注意喚起を受けてきた。

 

 交差点に気をつけろ、とか。

 

 「だろう運転」ではなく「かもしれない運転」をしろ、だとか。

 

 でも、一番心に残っているのは、「事故は全員が不幸になる」という言葉だ。

 

 起こした側も、起こされた側も、関係者を巻き込んで。

 

 当たり前と言えば当たり前なのだが、起こした人だけが悪くてハイ終わり、というわけにはいかない。

 

 相手が亡くなってしまえば、そのご遺族にとって悲しみは一生続く。

 

 運転手は交通刑務所に行って罪を償うかもしれないが、残された家族は翌日からまた日常生活を送らなければいけない。

 「あの事故を起こした家族」として。

 

 

 事故は全員が不幸になる

 

 

 運転手20年を務めた人間として、今も運転をする一人として、自戒を込める。

 

 その陰から自分の子や孫や恋人が飛び出してくるかもしれない。

 ミラーをたくさん見るのは大事。

 しっかり首を振って目視をすることはもっと大事。

 事故が起きてもあわてずに最後までコントロールを試みろ。

 ぶつかるときは物に当たれ。

 かっこよくはないかもしれない安全運転が周囲の人を幸せにしていることを忘れるな。

 

 もう泣きたくないよ。

 

 

 髙野守道