おはようございます。
厚労省HPに専門家会議の資料が載っています。
そのなかに「適切な後見人の選任のための検討状況等について」というものがあります。
ネットニュースにもなっていたので「後見人は親族が望ましい」というキーワードとともに、関心を持たれた方も多いと思います。
ツイッターを見ても、様々な意見が述べられています。代表的なものは「親族がいないケースはどうするんだ」とか「前に戻しても意味がない」といったところでしょうか。
最高裁はただ単に「親族が望ましい」と言ったのでしょうか。
否。
同資料を見ると、条件が付されていることがわかります。
「…後見人となるにふさわしい親族等の身近な支援者がいる場合は,これらの身近な支援者を後見人に選任することが望ましい」
これ、「そりゃそうだろ」としか思えないんです。いままでもこのケースは親族が就任していたと思うので。
昨年の概況を見ますと、昨年選任された後見人等のうち23.2%が親族後見人です。「後見人となるにふさわしい親族等」がいたにもかかわらず、専門職が選任されたケースというのがどれほどあったのか・・・。
現場の1意見ですが、当職が担当している20件ほどの案件のうち、ふさわしい親族等がいるケースは「2」です。
その「2」は、2つとも、ご親族と私の複数後見案件です。
我ながら驚いてしまいました。残りすべて「親族なし」「親族いるけど支援不可」です。
これが私の現実です。
ときどき「親族が後見人になれますか?」という質問を受けますが、ポイントは「後見人となるにふさわしい」か否かでしょう。ふさわしければ、これまでも選任されていたでしょうし(現に4件に1件は親族後見人なわけです)、これからも選任されるでしょう。
「ふさわしい」これをどう捉えるか。
「ふさわしい」は「評価」なので、それを導く「事実」をどれだけ家裁に出せるのかだと考えます。
例えば「長年に渡って本人のために支援をし、財産管理も明確にやっている」という事実は「ふさわしい」という評価に結びつきやすいと思いますが、反対に、「家も遠いし、普段交流ないけど、第三者(専門職)は嫌だから私(親族)を候補者として…」というような場合は、「ふさわしい」という評価には結び付きにくいでしょう。
また、「私は本人の子供だ」という事実のみでも、後見人にふさわしいかどうかはわかりません。これまで親の年金を自由に使っていたというような事実があれば、反対に「ふさわしくない」に近づくと思います。
つまり、最高裁は、「これまでと特段変わらない可能性」と「少しだけ変化が起きる可能性」を惹起させ、かつ、劇的な変化が起きるのか!と一定の人たちに期待を持たせる実に○○なコメントを出したと思います。
同資料では3つほど考え方が掲載されており、文末はそれぞれ「望ましい」「検討する」「行う」となっています。
「望ましい」「検討する」はニアリーイコール「行うわけではない」と斜に構えれば、必然と「行う」が気になります。
「行う」としたものは何か。
それは「後見人選任後も,後見人の選任形態等を定期的に見直し,状況の変化に応じて柔軟に後見人の交代・追加選任等を行う」というものです。
いわゆる課題解決型の案件で、専門職が選任→課題解決→親族にリレー、とかでしょうか。
こういう方式は、大・賛・成です。
現に私がご親族とやっている複数後見はこれに近いです。
課題解決(不動産売却、相続手続き、訴訟対応等)を図りながら専門職が親族に後見業務を伝達。裁判所との連絡方法、普段の業務の注意点など。その後1~2年(1~2回の定期報告)で専門職が辞任し、親族にお任せする。
今後は、「専門職だけ」「親族だけ」ではない選任方式が多くなるのかもしれません。
引き続き注目したいと思います。
髙野守道