おはようございます。
昨日は3.11でした。
あれから8年。
まぁ自分の人生も変わったもんだなと思います。
人生何があるかわからない。
そして人生は短い。
もともと人生あっという間論者ですが、相続人調査をしていると、その考えがますます強まります。
調査の過程で、平成、昭和、大正、明治という時代を行ったり来たり。
途中の1年の違いは気になりません。
明治は前半か後半か、大正でひとくくり、昭和は戦前か戦後か、そして40年以降はもう自分の時代、平成に至っては「平成生まれか!」と言いながらやっぱりひとくくり。
逆立ちしたって時間は戻せないし伸ばせない。
人生は決められた時間の出来事。
自分の戸籍で考えれば、昭和50年に父の戸籍に入り、コンピュータ化され、婚姻で新戸籍編製。たった3枚の出来事。
人生は短く一瞬の幻。
そう考えると、普遍性のあるものへの畏敬の念が生まれ、時代を超えて良いとされるもの、例えば、偉人とされる人の考えに近づきたいと思ったり、クラシック音楽を聴きたくなり、自分が日々口から吐き出すもの身につける物なんて所詮一瞬の戯言に過ぎないと感じるのです。
いわゆる、不惑。
40にして惑わず。
自分という存在が消えたとしても子供たちや孫たち、その世代を生きる人に残せるかもしれないもの。
そんなものを探しながら自分の信じる道を進むのみ。
そんなことを思った、あれから8年が経った日。
自分に問いかけて始まる9年目の朝。
髙野守道