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紙の命

 

 おはようございます。

 

 戸籍を見ているといろいろと思うことがありますが、重要な膨大な「人の系譜」であると再認識します。人は、歴史に残るような人物でなければ、亡くなった後ある程度の時間の経過によって、戸籍に書いてある程度の情報しか残りません。○○という名前で、どこでいつ生まれて、親が誰で、婚姻歴があって、離婚歴があって、子供がいて、いつ死んで・・・。

 

 相続人調査では、紙の上の膨大な数の人物の情報を見ます。単なる作業になりがちですが、考えてみると、みんな生きた人間だったわけで。怒ったり、泣いたり、笑ったり、夢見たり、落ち込んだり、喜んだり、悩んだりして、いつかの時代を生きていた。

 

 不思議な気分です。お金持ちや偉かった人も紙の上では同じです。むしろ、単に生存年数が長いほうがすごいと感じてしまいます。もしかしたら、周りに迷惑ばかりかけていたどうしようもない人物かもしれないのに。

 

 若くして亡くなっていたりすると、病気かな?事故かな?まさか自殺?なんて思ってしまいます。

 

 職業も性格もわからないけど、たしかに生きていたという証拠。戸籍。人間味のまったくない紙の上の命。

 

 自分も死んだら、いつ生まれて、両親が誰で、いつ婚姻して、子供がいて、いつ死んだ、という記録だけが残るのでしょうか。自分にも妻にも膨大な数の先祖の命があって、それを受け継いで、融合させて次の世代を作り出して…と考えたら、俄然、自分たちの戸籍をたどってみたくなった2月の朝。

 

 

 100年近く前、同じ2月の朝、亡くなったあなた。

 どんな人生だったんですか。

 何をされていたんですか。 

 何を思っていたのですか。

 

 

 考えれば考えるほど、命って不思議です。

 いつの日か、命とは何ぞや、人生とは何ぞや、なんてことがわかる日が来るのでしょうか。

 

 

 きっと、来ないんだろうな。

 ひょっとしたら、100年以上前、この人、俺と同じこと考えてなかったかな。

 命って何だ、って。

 

 

 いつ紙の上の命になるかわからないし。

 そうなる前に、たくさん笑って、たくさん泣いて、現実の命を実感したいよな。

 

 

 

 髙野守道