ある人を指して、「あの人は詩人だから」と言うことがある。
詩人という評価をするには、評価根拠事実があるわけで、それは何かを考える。
それは、「少ない言葉で伝えること」かつ「人が共感すること」ではないだろうか。
同じことを伝えるのにダラダラと長い文章を書いていては、詩人ではない。
少ない言葉で文章を紡いでみても、誰も何も感じなければ、詩人ではない。
後見人は、詩人の心があったほうがいいと思う。
少ない言葉のやりとりでも、こちらの気持ちを伝えることができ、相手の気持ちを感じることができる力。言うなれば、共感力。
今夜、出会った詩を紹介したい。
茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。
『ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ 』
自分の感受性は、自分で守っていきたいものだ。
コメントをお書きください