人間

大谷がまたやった。

痛快である。

その大谷を米メディアは「この惑星由来ではない」と表現したとか。

米メディアらしい面白い表現だと思うが、大谷はこの惑星由来の人間であり、私と同じ日本人である。

しかし、共通点はそれくらいしかないかもしれない。
あとは、野球好きのオスであることくらいだろうか。

大谷の人生は、想像することすら不可能なものなのであるが、そんな彼もいつかは年老いて認知症になるかもしれない。その前に脳梗塞を患い脳機能障害に陥るかもしれない。

そんなときは、何処かの誰かが後見人になるかもしれない。

回ってきた仕事の本人欄に大谷翔平と書いてあるかもしれない。

そのとき、本人を理解することは極めて難しい作業となるであろう。この人は元メジャーリーガーで二刀流として活躍して、脳の病気を患って、いま、私の目の前にいる。その心の内は…?

しかし、よく考えてみると、それはほぼ全ての人間に当てはまることだ。

認知症等がなく喋れる人間を理解することすら難しいのに、喋れない又は喋れても何が真実かわからない方を理解するのは、困難なことこのうえない。

出身、年齢、性別、家庭環境、友達関係、親族関係、性格、経験してきた事実、学歴、職歴…
人間を彩るものは、無限にある。

何気なく本人名を検索して驚いたことがある。
〇〇家第〇〇代当主という肩書きが出てきて、関係する記事も無数にヒット。
こ、これは…。
世が世なら、お殿様!?
私なんぞは簡単に切って捨てられるような存在に過ぎませぬ。何の因果で、お近付きになれたのか…。

大谷狂騒曲を見ながら、無限にある人間の居場所に想いを馳せました。

大谷本人、チームメート、観客、アナウンサー、記者、解説者、テレビを見ている人、大谷に興味もなく黙々と仕事をする職人、北の大地、南の島、老いも若きも、殿様も平民も、娑婆も塀の中も。みんないつか、認知症になるかもしれない。

無限にある人間の居場所のうち、ある一つの場所が、ある日突然、私にとって意味のある場所になり、昨日まで思いもしなかったことを思い、後見人として活動します。

後見人としての活動は、数式を解くのとは違い、明確な正解を得られない活動です。本人が笑えば正解なのかもしれません。しかし、明日も笑ってくれるかどうかはわかりません。

現在、20人近くの方の支援にあたらせていただきながら、悶々とする日々を過ごしております。

後見業務の難しさを感じるとともに、やり甲斐も強く感じます。
解決策がどこかにある。
本人のことを考えながら、ご家族の意見も取り入れる。
周囲の方の意見に耳を傾け(特に福祉系のアドバイスは本当に貴重です)ながら、最善を模索する。
ベストが無理でもベターはある。


大谷を見て後見のことを考えてしまうのは、職業病かもしれません。(^_^;)