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日常

明日も日常はやってくるだろうか。

ネットのニュースを見ると
・ギタリストが天体観測中の事故で亡くなった
・成人式の日に振袖を着ることができなかった
・五輪出場のため先輩に嵌められた後輩がいた
・好戦なのか対話なのか南北が会談した
・幼い子供が交通事故で命を落とした
・中学生が自殺した
・有名ユーチューバーがやりたい放題やった
・僧侶が15歳と淫行した
などとある。
1月9日は、お正月が終わったと思った途端の三連休が明けた日であり、「日常が始まった感」が多かった日であった。
しかし、不慮の事故で命を落としたり、他人のせいで人生に一度の瞬間に不愉快な思いをしたり、やった方もやられた方も何も得るものがない行動をとったり、日常を揺るがす話し合いがどこかの誰かによってなされたり、自らこの世に別れを告げてしまったり、他者へのリスペクトなど微塵も持たない者が多くの人の目に映ったり、俗から離れた存在のはずが最も俗っぽかったり…。
少なくとも、私も、日常が始まったと感じた1人ではあるが、ニュースを見れば非日常が並んでいる。逆に言えば、非日常な出来事だからニュースなのか。
今日から日常が始まった。
何でもない平凡な日常は、大切な日常なのかもしれない。大切な日常は、平凡な日常なんかではなく、偉大な日常だ。
いつもどおり仕事をして
いつもどおり頭を抱えて
いつもどおり笑って
いつもどおり考えて
そんな日が続けばいい。
しかし、ミサイルが、車が、信じた人が、まさか…なんて日が来るかもしれない。
明日、平凡で偉大な日常がきたら、喜ぶべきことなんだろう。
明日、まさかの非日常がきたら、まさかの非日常が来るかもしれないと想定していたのだから結局日常だ、と笑ってやろう。
明日も日常はやってくるだろうか。
私のもとにも。
あなたのもとにも。